豊橋ウェブ百科事典「吉田宿」

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 豊橋市の吉田宿

サブ1

左から:市役所から見た吉田大橋付近、豊橋公園の吉田城案内図、当時の吉田大橋、豊橋公園入口

さぶ2

左から:再建された常夜灯、常夜灯脇の案内看板、周辺、再現された東惣門
<概要>
豊橋市の中心部、豊橋市役所や豊橋公園がある場所は江戸時代、吉田城を囲むように武士達の居住区があり、東海道沿いに城下町として栄えた吉田宿がありました。江戸と京都のほぼ中間点にあたり、東海道の中でもにぎわいと華やぎに満ちた宿場でした。付近には吉田城と豊川、そして「吉田橋」や「御橋」と呼ばれていた大橋が存在し、大橋を通じて多くの人・モノ・情報が往来するとともに、旅人の英気を養いました。しかし太平洋戦争中の豊橋空襲によって、当時の面影はあまり残っていません。
<再建された常夜灯>

現在東八町の交差点脇にある常夜灯は、当時の吉田城下で最も大きく、「新町の大灯篭」として吉田名物になっていました。太平洋戦争中の東南海地震で崩れましたが、地元有志の努力で江戸時代にあったと思われる場所に再建。現在も街路灯として道の安全を守り続けています。

<地名に残る面影>
吉田宿には、鍛冶屋が集積していた鍛冶町、江戸のファッションストリート呉服町、魚市場があった魚町など、かつての名前が現在の地名に残っている町もあります。
<新旧とよばし>

江戸時代の「吉田大橋」は現在の「とよばし」の位置にあり、やや上流には新たに現在の「吉田大橋」が架けられています。かつて人やモノの往来が盛んであった旧吉田大橋ですが、国道1号が通った事で、物流の中心は現在の吉田大橋へと変わっています。

<リンク>

関連情報など(豊橋市美術博物館HP)

http://www.toyohashi-bihaku.jp/外部サイトへのリンク