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南稜の散歩道Vol.3

21、南稜の散歩道 ~植田小学校から梅田川までの「田んぼやちょっとした荒地」~

植田町のT.Mさんからの投稿により取材しました。

植田小学校の北側、梅田川沿いに広々とした田地が広がるこのエリアは、江戸時代初期に開発された古い地域で津田新田と呼ばれています。地名には古津田、新津田という名が残されています。この田園地帯には少し南の大地にある大池や精進池をはじめとした幾つかのため池からの水路が縦横に走り、このエリアに潤いを与えています。こうした水田地帯は穀倉地帯にもなりますが、春・夏はもちろん、冬に耕作がなされてない時にも野鳥や昆虫などの貴重な空間になっています。見方によっては、二次的な自然ではありますが、自然のまま、そして少し荒れている感じが四季に応じた野鳥をいっぱいびこんでいます。これからの時期、田に水が引かれるとシラサギの仲間、アオサギ、コサギ、ケリなどに加え、カワセミも見かけることができました。きっと、鳥たちのエサになる小さな昆虫や貝類などがたくさんいるじゃないのかなと思います。田の水面に夕陽が浮かぶ頃、植田変電所の東側から見ると渥美線が浮かぶように駆けていきます。そんな茜色の光景を感じながらランニングをしていると、なぜか心が落ち着きます。みなさん、植田校区のコミュニティマップを持って一度探検してみたらいかがでしょう。新しい発見が面白いですよ。

第50号ミナクル通信令和元年6月号に掲載(pdf/1305KB )

22、南稜の散歩道 ~野鳥の楽園・梅田川~

野依台のH.H.さんの投稿をもとに作成  

1012日の台風19号では、激しい雨と満潮時を迎えていたこともあり、梅田川は避難判断水位を超えた時期があった。この川は、高低差が少ないためか、満潮時と重なると川の水が海に流れ込まなくなってしまうようだ。しかし、平時のこの川ののどかさは、他の川を抜きんでているように思う。

朝方や夕まずめには、ちょうどイオン北側の野依橋から眺めると、東側には黒ぐ

ろと鵜などの野鳥が、反対の西側には白くシラサギ・コサギの仲間が、中洲や浅い

岸辺に集まっていることがあり、車を停めてみたいと思うのだが、車もまた数珠つな

ぎの時があり、なかなか観察できない。この写真は7月頃の投稿だが、これからは、

カモの仲間たちがゆったりと水面を滑るのではないかと思っている。野依町の川や

植田町のため池にも現れ、時々、アオサギの大きい体が混じる光景がいい。

第55号ミナクル通信令和元年11月号に掲載(pdf/2768KB )

23、南稜の散歩道  ~植田に残る「蚕都・豊橋」の面影~ 

昨年「建築物から探る豊橋の近現代」というミナクル講座を開催し、市内に残る明治期からの近現代の建築物を探した。近現代の豊橋の歴史を探ると、蚕都、軍都とともに都市としての成長をしてきた。豊橋市公会堂や第15師団司令部などがその時代の代表であるが、蚕都の遺構といえば、大清水の豊橋紡績も既になく、蚕都の遺構が既に消えているのが現状。ところが、南稜地域には驚くべき建築物が残されていたのがわかった。それは、県内に101棟が建てられた稚蚕共同飼育場(蚕種を持ち寄り孵化させる建物)で、現在はほとんど残っていないのであるが、その飼育場が植田2区の公民館として現存したことに驚いたのだ。昭和の初めに愛知県により奨励された稚蚕共同飼育場で、現存は稀有の建築物。植田の古老石田さん、植田2区の昨年度自治会長加藤さんに一昨年、説明を伺い、今年度の自治会長稲垣さんにお願いし、講座視察時には開館し受講生を受け入れていただいた。感謝。内部は10畳の広さの飼育室が2列に6室あり、天井までは部屋の中心の換気口に向けてトガッた形で高くなっている。床下の炉で部屋を暖める構造のようで、宿直できる部屋の地下には桑の葉を貯  

蔵する場所ものぞき見えた。講座講師・工学博士の瀬口名市大名誉教授よれば、戦前に建築されたこうした建築物は貴重で、県内でも珍しい歴史的遺構だ、と説明していたのが印象的であった。

第57号ミナクル通信令和2年正月号に掲載(pdf/1753KB )

 お問合わせ先
豊橋市大清水まなび交流館「ミナクル」内  南稜地区市民館
電話番号/0532-26-0010      
E-mail/nanryo@city.toyohashi.lg.jp
所在地/〒441-8133 愛知県豊橋市大清水町字彦坂10-7